ブックタイトルみちのだい185号
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みちのだい185号
81いんねんの者を寄せて私は十八歳の時、勤務先の社長夫妻の手引きにより、修養科、検定講習を修了致しました。母から聞いた話では、その頃に、中学の先生から「天理教の教会へ嫁に出してほしい」と、縁談が持ち込まれたそうです。母は「そんな見たことも聞いたこともないような宗教にはやれません」と、その場で断ったそうです。その後、私は主人と知り合い二十一歳で結婚しましたが、当時誰もが「苦労するからよしなさい」と反対しました。しかし、主人も、修養科も検定講習も終えて、私と同じ頃におぢばにいたと聞いて、私は運命だと感じたのです。金沢駅近くのアパートで、所帯を持ちました。主人は几帳面で働き者でしたが、半面、大変短気で、我がままな性格でした。その上、お酒を飲むと人格が変わります。そして、主人には二人のやくざ者の兄がいたのです。長兄は近くで喫茶店をしていて、次兄はやくざの組長です。私は知らなかったのですが、実は主人も青森で愚連隊の隊長をしていたのです。兄達は「徹(主人)は安月給だから、うまいものを食わせてやりたい」と、うなぎやウニやカニ等の高価な食料やお酒をたくさん持って来て酒盛りを始めます。最初は、楽しく飲んでいるのですが、必ず途中から口論になり、ケンカになり、乱闘騒ぎになるのです。体格も良く気のすべ荒い人ばかりです。私は、なす術もなく部屋の隅で、一刻も早く嵐の治まるのを震えながら待つだけです。「いつまで続くのだろうか」「どうなるのだろうか」不安で、食欲もなく眠れない日が続き、四十五キロあった体重が三十五キロまで落ちました。主人に別れてほしいとお願いをしました。すると、「女は掃いて捨てるほどいるからな。でも男に恥をかかせたらお前の親は無事でいられるかなあ!」と、おどしをかけられたのです。まその時、私はそれを真に受けてしまい、いんねんの苦労より必ずたすかるという、たすけ一条の苦労のほうがいいに決まっている