ブックタイトルみちのだい183号
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みちのだい183号
81おぢばでの伏せ込み私は布教所長の子供として生まれました。母は元々体が虚弱で、子供を産むだけの体力がなく、子供は諦めた方がよいと医者から言われていました。結婚後三年経っても子宝に恵まれず、離縁という話になったところを、所属教会の会長さんにおたすけに来て頂き、その後、妊娠のご守護を頂きました。私は健康に恵まれて育ちましたが、小学四年生の時に交通事故に遭い、幸い左側の鎖骨骨折だけで済みました。折しもその日は布教所の月次祭の日でした。五年生の頃、耳鳴りが起こり病院で検査を受けても原因は分からず、恐らく交通事故の後遺症ではないかとのことでした。治療方法は手術のみと言われ、私には手術は恐ろしく、受けることができず、現在も耳鳴りは続いています。地元の商業高校を卒業し就職しましたが、難聴のために職を失いました。次の仕事を探すこともなく引きこもりに近い生活を送っていた時に、修養科を勧められ、その状況から逃げるために志願しました。修養科三ヵ月は非常に有意義で、私の信仰の基盤ができ、生涯の友を得ることもできました。そして、修養科を修了すると、そのまま二ヶ月ひのきしん隊に入隊、配属されたひのきしん場所は煮炊場(食堂掛)で、おぢばでひのきしんができる喜びを味わわせてもらいました。正直なところ、家には帰りたくないという気持ちが強く、当時の教会長資格検定講習会前期を受講してからそのまま煮炊場の勤務者とならせてもらうこととなりました。煮炊場では、月次祭や、こどもおぢばがえり、学生生徒修養会、お節会など大勢の帰参者で目が回るような忙しさでしたが、私にはとても合っていたようで楽しい職場で、様々なことを仕込んで頂きました。私の信仰の基盤ができ生涯の友を得ることもできました